牙牌
  • 年代

    朝鮮

  • 材料

    骨角貝甲

  • 寸法

    11.1×4 最大長44

  • 番号

    南山 2583

朝鮮時代には号牌法によって16歳以上の男子はみな号牌(名札)を携帯せねばならなかったが、これは人口数を把握し、身分を証明するためであった。身分によって号牌の記載内容と材質が異なる。
この号牌は18世紀の文臣である金憙(1729~1800)のものであるが、象牙でつくられ牙牌ともいわれる。号牌の前面には“金憙 己酉生 癸巳文科”と記され、後面には“甲辰”と記されている。このことから甲辰年、すなわち1784年に製作されたものであることがわかる。
1677年(粛宗3年)に編纂された『号牌事目』によると、号牌の材質は二品以上なら象牙でつくった牙牌、三品以下なら角でつくった角牌、生員や進士ならチョウセンヒメツゲという木でつくった黄楊木牌を使用するよう規定されている。このような点で、金憙のこの号牌はその規定がよく守られていることがわかる。
 金憙の字は善之、号は芹窩、本貫は光山で、金長生の後裔である。1762年(英祖38年)に生員になり、1773年(英祖49年)に号牌に記されたように増広文科に及第、1779年(正祖3年)に奎章閣の直閣、大司成、京畿道観察使、吏曹参議などを経て、1793年(正祖17年)に右議政に上がった人物である。