ぜひご覧いただきたい各時代のもっとも貴重な文化遺産である名品 30 選もお見逃しなく。
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先史・古代館 > 旧石器室
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年代
韓国 - 旧石器
- 材料石 - その他
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"握斧(ハンドアックス)は旧石器時代の石器の1つで、全体的に楕円形であるものの、先端部が鋭く尖っています。手で握り、様々な用途で使用していました。旧石器時代の人々は、あらかじめ全体の形を考えたうえで握斧(ハンドアックス)を作っていたと考えられます。ホモ・エレクトス(Homo erectus)の時代、約170万年前から10万年前まで使用されたと推定され、西ヨーロッパや中東、アフリカ、イギリス、インド、東アジアに及ぶ広い地域で見つかっています。 この握斧(ハンドアックス)は、漣川郡全谷里で出土したものです。1940年代初め、アメリカの考古学者モヴィウス(H. L. Movius)は、旧石器文化をヨーロッパの「握斧(ハンドアックス)文化圏」とアジアの「チョッパー文化圏」に分け、東アジアには握斧(ハンドアックス)がないと主張しました。しかし、1978年に東アジアでは初めて全谷里で握斧(ハンドアックス)が発見され、こうした二分法的理論は否定されました。"
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先史・古代館 > 新石器室
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年代
韓国 - 新石器
- 材料土製 - 軟質
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"韓国の新石器時代の代表的な土器である櫛文土器で、今から約6,000年前に作られたものです。全体的にV字型をしており、大きく口縁部、胴部、底部の3つの部分に分けて様々な文様を施してあります(施文)。新石器時代の土器の文様には、幾何学文、植物文、動物文などがあります。施文する際は、表面に文様をつけたり、粘土帯を貼り付けたりする方法が用いられました。均衡感を考慮した左右対称の文様から、新石器時代の人々の優れた空間構成力や美的感覚、水準の高い精神世界を見て取ることができます。 新石器時代の人々は、粘土を焼くと硬くなるということを偶然知り、こうした性質を利用して土器を発明しました。土器を使用するようになったことで、食品を貯蔵したり調理したりできるようになり、定着生活が確立しました。また、それまで使わなかった植物資源を活用するなど、人類の生活方式に大きな変化がもたらされました。"
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先史・古代館 > 青銅器/古朝鮮室
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年代
韓国 - 初期鉄器
- 材料金屬 - 銅合金製
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"農耕文青銅器には、青銅器時代の農作業の様子が描かれています。 朝鮮半島では紀元前15世紀前後に、稲作を中心に農耕という新たな経済が登場し、社会全般にわたって多くの変化が起きました。大田地域で出土したとされる農耕文青銅器は、文字による記録のない当時の姿が写実的に描かれている貴重な資料です。 環が取り付けられた面には2つに分かれた木の枝にとまる鳥が描かれ、反対の面には、頭に羽毛のようなものをつけてタビ(唐鋤より小さく先が細い農具)で田を耕す裸の男性と、鍬を持つ人、そして穀物を壺に入れる人の姿が見られます。これは、春に農作業を始め、秋に収穫するまでを順番に表したものです。しかし、裸で田を耕す男性の姿から、農耕文青銅器は単に農作業の様子を描いたものではなく、豊作を願う儀礼に使われた道具であることがわかります。紀元前5~4世紀頃、韓国式銅剣文化が発展し始めた時期に作られたものとみられます。 "
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先史・古代館 > 古朝鮮
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年代
韓国 - 初期鉄器
- 材料金屬 - 銅合金製
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分流
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慶尚南道昌原茶戸里遺跡は、朝鮮半島で最も早い時期の木棺墓群のひとつで、古代国家形成に関する新しい発見を促しました。茶戸里遺跡木棺墓の最大の特徴は、棺の下の床面中央に副葬品を納めるための穴(腰坑)が掘られていることで、これは茶戸里遺跡で初めて確認されました。穴の中にはかごが置かれ、そこから、漆塗の鞘がついた韓国式銅剣や鉄剣、銅矛、鉄矛、鐵鏃などの武器類のほか、タビ(唐鋤より小さく先が細い農具)、鉄斧など鉄製の農具類、中国の鏡や帯鉤、翡翠といった装身具、漆器、扇、馬鐸、五銖銭、筆など大量の遺物が出土しました。中国の鏡や五銖銭から、この墓は紀元前1世紀後半に作られたことがわかります。記録によると、豊富な鉄鉱山と製鉄技術を有する弁韓は、楽浪や倭に鉄を供給したほか、鉄を貨幣のように使用していました。弁韓の支配勢力は、鉄の生産と統制、貿易によって富を蓄積し、これを土台として権力を維持、拡大していったとみられています。茶戸里遺跡はこうした弁韓の支配階層の墓で、そのうち最も多くの副葬品が出土した1号墳の被葬者が弁韓の支配者であったと考えられます。
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先史・古代館 > 高句麗室
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年代
韓国 - 新羅
- 材料金屬 - 銅合金製
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慶州市路西洞140号墳のうち南側の墓からは、高句麗と関係のある壺杅が出土したことから「壺杅塚」と呼ばれています。壺杅は、半球型の本体と平らな蓋から成る青銅盒で、被葬者の頭部の右側に置かれていました。高台のある底部には「乙卯年国罡上広開土地好太王壺杅十」の銘と、「#」の形の文様が浮彫されています。「国罡上」は、王の墓がある場所の地名で、「広開土地好太王」は、領土を広く開拓した業績を称えて広開土大王の死後に付けられた諡号といえます。したがって、「乙卯年」は、広開土大王が死去した412年より後の415年(長寿王 3年)で、王を追悼するために作ったものと解釈できます。「十」についてはいくつかの仮説があり、10個の壺杅を作ったなどと推測されています。上部中央の「#」も、いまだその意味が解明されていません。広開土大王は新羅・奈勿王の要請を受けて5万の大軍を送り、周辺国の脅威から新羅を救ったとの記録があることから、この青銅盒も高句麗と新羅の歴史に関する重要な手がかりになると考えられています。もしかしたら、乙卯年(415)に執り行われた広開土大王の追悼行事に参列した新羅の使臣がこの青銅盒を持ち帰って大事に保管し、副葬したのかもしれません。
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先史・古代館 > 百済室
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年代
韓国 - 時代未詳
- 材料金屬 - 鉄製
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分流
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"約4,600点の遺物が出土した武寧王陵は、その墓制や出土品から、百済の国際性を如実に物語るものと言われています。とくに、墓誌石が見つかったことから、武寧王陵は被葬者が特定できる三国時代の唯一の王陵であり、北東アジアの古墳研究における基準となりました。 武寧王陵から出土した金製冠飾は、王と王妃の頭部付近で、それぞれ2点ずつ重ねられた状態で発見されました。中国の歴史書『旧唐書』によると、「王の冠は、黒い絹の冠[烏羅冠]を金の花[金花]で飾った」とあり、武寧王陵の金製冠飾はその「金花」であると推定できます。王妃の冠飾は薄い金板に文様が透彫してあります。王の冠飾とは異なり、文様が左右対称で、歩揺がついていません。花瓶を中心に下には蓮の花が、上には忍冬唐草文が施され、仏教的な世界観が表れています。他の地域で類例のないこの冠飾は、百済の独創的な文化を示す資料です。"
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先史・古代館 > 伽倻室
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年代
韓国 - 三国
- 材料金屬 - 鉄製
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分流
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大伽倻の王陵級墓である慶尚北道高霊郡池山洞32号墳から出土した甲冑です。鎧は、鉄板を人の上半身の形に配置し、鋲で連結した後、身体の曲線に合わせて作られています。冑は桃の種に似た形で、首を守るための長い鉄板が冑の後方に取り付けられているのが特徴です。これとは別に、肩を覆う鎧も出土しており、こうした鎧の形態は、当時大伽倻でしか見られないものでした。大伽倻の甲冑は、3~4世紀に金官伽倻の中心地で生まれた鎧の影響を受けて5世紀から作られるようになり、隣の日本(倭王権)にも伝わりました。この甲冑は、大伽倻の高い製鉄技術と鉄器製作技術がわかる貴重な資料です。
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彫刻・工芸館 > 金属工芸室
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年代
韓国 - 新羅
- 材料金屬 - 金製
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分流
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この金冠と金製銙帯は、5世紀の新羅の王陵である皇南大塚(慶州市)から出土しました。金冠は、帯に木の枝と鹿の角の形の装飾が立てられた単純なデザインですが、4~5世紀の新羅の最高支配者だった麻立干のアイデンティティと世界観が表れています。金冠とともに麻立干の神聖な王権を象徴するもう一つの装身具が金製銙帯です。金製銙帯には、貴金属で作られた魚や小刀、勾玉などが吊り下げられています。これらは、当時の麻立干の日常生活を象徴的に表現したものです。古代東アジアにおいて、冠は身分を示す代表的な服飾でした。国ごとに独自の冠がありましたが、新羅は、王権の象徴として木のモチーフを冠に採用したという点で、非常に珍しい文化をもつ国です。
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史の道 > 史の道
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年代
韓国 - 高麗
- 材料石 -
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分流
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"高麗忠穆王4年(1348年)に大理石を磨いて建てた石塔です。本来石塔が建てられた場所はここから約60キロ離れた開城の敬天寺で、同寺院は王室の往来が多く、高麗王室の忌日に追慕祭を執り行っていました。塔の一層の屋根の下に彫られた銘文から、中国・元皇室と近い人たちの後援を受けたことがわかります。 敬天寺石塔は、木造建築物のような繊細な造りが見られ、各層に仏像が彫刻されています。下層は漢字の「亜」の形のように突出していて、元で流行したモンゴル・チベット系の塔と形が似ています。一方、四層から十層までは、韓国の石塔の伝統にならって上から見た姿が正方形です。こうした造りは中国では見られないことから、当時東アジアで流行した様式を参考にして高麗で生み出されたものと考えられます。そして、この石塔の建設から約120年後、朝鮮王室は素材や形の似た石塔をソウルの円覚寺に建てました。"
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先史・古代館 > 統一新羅室
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年代
韓国 - 統一新羅
- 材料金屬 - 鉄製
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分流
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忠清南道瑞山の普願寺で見つかった韓国に現存する最古の鉄仏です。鉄でできているものの、石窟庵本尊仏から感じられるような写実感があると評されています。とくに左腕の流麗な衣文は、石窟庵本尊仏を凌駕するほどの芸術です。韓国の歴史上、鉄仏が作られたのは統一新羅末期から高麗初期にかけての比較的短い期間で、当時は銅の供給が円滑でなかったという背景があります。鉄仏は銅で作るより難しいにもかかわらず、石窟庵本尊仏に匹敵する仏像に仕上がっていることから、当時の人々の優れた鉄鋳造技術がわかります。
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中世・近世馆 > 高麗 Ⅱ室
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年代
韓国 - 高麗
- 材料紙 -
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分流
- 尺寸
大蔵経は、釈迦の教えをまとめた経蔵、仏教徒の戒律である律蔵、仏教僧侶の著述をまとめた論蔵から成り、仏教経典であると同時に幅広い分野の知識が豊富に含まれていることから「中世の百科事典」とも呼ばれています。中世の東アジアでは各国で自国語の大蔵経が作られましたが、なかでも高麗の大蔵経は、内容が充実していて、木版の彫りが繊細で、最も優れているとされます。1011年、高麗の朝廷は、仏の力によって契丹の侵入から国を守るために初雕大蔵経を作りました。しかし、これはモンゴル軍の侵入を受けて1232年に焼失してしまいました。すると、当時の執権者であった崔怡は、モンゴル軍を撃退するために大蔵都監を設置し、1236年から16年間にわたる努力の末に再び大蔵経を完成させました。これが「再雕大蔵経」または「八萬大蔵経」と呼ばれているものです。現在陜川海印寺に保管されている八萬大蔵経の版木で印刷したこの『大般涅槃経』は、釈迦の入滅(大般涅槃)を叙述した経典です。これは、高麗の仏教の水準がわかる資料であると同時に、高麗の進んだ印刷文化を示す証拠でもあります。
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中世・近世馆 > 朝鮮 Ⅱ室
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年代
韓国 - 朝鮮
- 材料金屬 -
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分流
- 尺寸
1461年に刊行された仏経『楞厳経諺解』を印刷する際に使用されたハングルの金属活字です。『楞厳経』は仏陀になるための菩薩の修行法を説明した仏教経典のことで、「諺解」は漢文をハングルで解釈したという意味です。朝鮮の公式的な文字は漢字でしたが、ハングルも併用され、『楞厳経諺解』は仏教経典のうち最初にハングルに直されたものです。これらの金属活字は、現存する朝鮮時代最古のもので、1455年から1461年の間に作られたと推定されます。朝鮮は高麗の金属活字印刷術を継承し、何十回も国家主導で金属活字を作って多様な書籍を印刷していました。これは、西洋や中国、日本などとは異なる朝鮮の印刷文化の特徴です。
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中世・近世馆 > 朝鮮 Ⅲ室
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年代
韓国 - 朝鮮
- 材料木 -
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分流
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朝鮮時代の地理学者・金正浩が大東輿地図を印刷するために作った版木です。版木には、山脈や河川のほか村や道、通信施設、軍事施設など様々な情報が精巧に彫刻されています。版木1枚の大きさは概ね縦32cm、横43cm前後で、南北約47km、東西63kmの地理情報が収められています。60枚の版木で印刷したものを全部つなぎ合わせると、縦6.7m、横3.8mほどの大型の全国地図になります。この版木には、『大東輿地図』を最初に刊行した後も金正浩が修正を加えていたことを示す痕跡が多く残っています。
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中世・近世馆 > 朝鮮 Ⅲ室
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年代
韓国 - 朝鮮
- 材料紙 -
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分流
- 尺寸
儀軌とは「儀式の範となる書」を意味しています。『外奎章閣儀軌』は朝鮮王室の婚礼や葬儀、国王の即位式といった重要な儀式や行事を開催した後、その準備から実行、事後処理までの全過程を文章や絵画で記録した書物です。江華島に設置された図書館「外奎章閣」に保管されていましたが、1866年の丙寅洋擾の際フランス軍との戦いで大部分が焼失しました。残った297冊もフランス軍によって持ち去られていましたが、145年後の2011年に韓国に返還されました。『外奎章閣儀軌』は、高級な紙に儀式の詳細を記して天然顔料で絵を描いた後、高級な絹の表紙をつけてあります。主に王が閲覧する目的で作られましたが、図書として当時最高の品質と芸術的品格を兼ね備えています。一冊しか伝わっていない孤本が相当数含まれており、極めて貴重な資料です。儀軌は、同じく儒教の影響を受けた中国や日本、ベトナムなどでは見られない韓国独特の記録遺産です。
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中世・近世馆 > 大韓帝国室
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年代
韓国 - 朝鮮
- 材料金屬 - 金製
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分流
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1897年10月、高宗は自主独立と富国強兵を実現するために、圜丘壇で皇帝即位式を行い、大韓帝国の誕生を宣布しました。大韓帝国の皇帝となった高宗は、中国の冊封を受ける諸侯国ではなく東アジアの皇帝国として、それに見合った地位を確立しようとしました。そのため、皇帝しか使えない用語である「勅書」「陛下」「朕」「万歳」などを使用したほか、黄色の袞龍袍を身につけ、皇帝だけが使う国璽や御宝(オボ、儀礼用印章)を作りました。大韓帝国誕生の宣布をした後、同年に作った皇帝の印章である「勅命之宝」は、印鈕が亀の形から、皇帝を象徴する龍に変わりました。また、印章の名称も「印」から「宝」に変わりました。
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書画館 > 書画室Ⅰ
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年代
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- 材料石 -
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分流
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ハングル創製以前は、韓国でも漢字を使って物事を記録し、後世に伝えていました。韓国では早くから、漢字の形態美を表現する書道が発展しました。統一新羅時代には、金生(711-?)が名筆として国外にも名をとどろかせました。金生は、王羲之(307-365)や顔真卿(709-785)といった中国の書道の大家の筆法を真似るだけでなく、力強く闊達な筆致で個性を表しました。太子寺朗空大師碑は高麗の光宗のときに建てられた碑で、金生の書跡を集めて(集字)刻しています。金生の書跡は今日ほとんど伝わっていないため、「新羅の王羲之」「神品四賢の筆頭」と称えられた金生の書跡を見ることができる貴重な碑です。碑の側面には、朝鮮中期の文人朴訥(1448-1528)が丁寧な楷書体で、碑を発見した感動を記しています。これらから、時代が経っても変わらない芸術の価値を感じることができます。
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書画館 > 書画室Ⅱ
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年代
韓国 - 朝鮮
- 材料紙 -
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分流
- 尺寸
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書画館 > 仏教絵画室
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年代
韓国 - 高麗
- 材料紙 -
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分流
- 尺寸
写経は仏陀の言葉を書き写す信仰行為であり、修行のひとつです。仏の教えを荘厳するために最高級の紙に金や銀が使われており、経典の内容を絵で表現した変相図には、流麗ながらも力のある線で、釈迦の説法の場面や仏法を守る神将のほか様々な文様がぎっしりと描かれています。現在、韓国に伝わる作品のうち最も古い写経は、統一新羅時代に制作されたもので、高麗と朝鮮時代にもその伝統が引き継がれました。とくに、仏教を国教とした高麗時代には、中国や日本と違って国の主導のもと大規模な写経が制作されました。写経には、国の安寧と繁栄から個人の願望まで様々な願いが込められています。また、変相図からは、時代によって変化する画風と、写経を制作した職人の芸術性が感じられます。金や銀で丹精込めて荘厳した写経を通して、崇高で奥深い仏教の世界を芸術に昇華させた祖先の精神に触れることができます。
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書画館 > 木漆工芸室
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年代
韓国 - 朝鮮
- 材料骨角貝甲 -
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分流
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朝鮮時代に衣服を保管した箱です。蓋の表面には、蔓でつながった蓮の花の文様をアワビの螺鈿で表しています。貝殻は美しい輝きを放つことから、昔から高級な装飾材料として使われてきました。この箱は、高麗の伝統と朝鮮の新しさを併せ持っています。文様の構成は高麗風ですが、螺鈿を糸のように細く切り、文様に合わせて切りながら貼っていく技法「クンウンジル」や、金槌で叩きながら自然な亀裂を作り出す「打抜(タバル)法」などといった朝鮮時代に創案された技法が用いられています。こうした多様な技法により、高麗時代の繊細な工芸美とは違う朝鮮の絵画的な螺鈿文様が発展しました。東アジアでは唐代以降螺鈿工芸が衰退しました。中国では漆を何層にも塗り重ねた後彫刻する彫漆技法が、日本では漆で文様を描き、その上に金や銀などの金属粉を蒔いて固める蒔絵技法が発達したのに対し、韓国では朝鮮時代も螺鈿漆工芸が継承されました。この箱には、朝鮮半島に長い間伝わってきた螺鈿漆工芸の美しさが息づいています。
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寄贈館 > 寄贈文化室
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年代
ヨーロッパ - ギリシャ
- 材料金屬 - 銅合金製
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分流
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マラソン選手の孫基禎(1912~2002)は、1936年にベルリンで開催された第11回オリンピック競技大会でオリンピック記録を樹立して優勝しました。当時、優勝者にはギリシャの青銅冑が授与されましたが、国際オリンピック委員会の規定によりアマチュア選手には副賞が与えられなかったため、50年間ベルリンの博物館に保管されていました。この冑は、1986年のベルリンオリンピック開催50周年記念行事で孫基禎に手渡され、その後、彼は「この冑は、私のものではなくわが民族のものだ」として国に寄贈し、1987年に国の宝物に指定されました。1875年から行われたギリシャ・オリンピアのゼウス神殿発掘で見つかったもので、紀元前7世紀からコリント地域を中心に製作されていたため「コリント様式」と呼ばれています。下部がくびれ、頚の部分がラッパ状に広がっているのが特徴です。(寄贈館は、人々から寄せられた愛蔵品を展示する空間です。)
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彫刻・工芸館 > 仏教彫刻室
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年代
韓国 - 統一新羅
- 材料石 - 花崗岩
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分流
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統一新羅時代の719年に金志誠が作った弥勒菩薩立像と阿弥陀仏立像です。発願者や制作目的、制作時期などが記されている重要な作例です。亡き母と父のために作ったということですが、これらの像の身体はどっしりとした量感があります。体の曲線が大胆に表現され、圧倒的な存在感を放っています。こうした表現法は、グプタ時代のインド彫刻の影響を受けた中国・唐の彫刻様式を受け入れて「新羅化」した8世紀初頭の統一新羅の仏像の特徴です。韓国は、中国や日本とは異なり、仏像の材料として硬い花崗岩を多く使用しました。
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思惟空間 > 思惟空間
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年代
韓国 - 三国
- 材料金屬 - 金銅製
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分流
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右足を曲げて左足の膝頭に載せ、右手の指先を頬に当てて物思いにふける半跏思惟像です。現在まで伝わる三国時代の仏像のうち半跏思惟像の占める割合や、本尊として扱われることが多かったことを考えると、朝鮮半島で半跏思惟像がいかに重要視されてきたかを実感できます。それは、半跏思惟の姿勢が釈迦牟尼の生涯や思想を表すと同時に、穏やかな表情やその造形が芸術的な美しさを感じさせたためでしょう。身体の線を簡潔にする一方で衣文を立体的に表現するという造形美や、約1400年前にこの大きさの半跏思惟像を鋳造する技術力があったということを踏まえると、この像は韓国の彫刻史を代表する作品であると評価できます。
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彫刻・工芸館 > 金属工芸室
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年代
韓国 - 高麗
- 材料金屬 - 銅合金製
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分流
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浄瓶は、インドでは僧侶が修行生活をするときに水を持ち運ぶためのものとして使われていましたが、韓国に伝わってから用途が変わりました。携帯用のほか、仏教儀式において浄らかな水を入れるための容器として使用されるようになったのです。この青銅銀入糸蒲柳水禽文浄瓶からは、高麗時代の優れた金属工芸技術を見て取ることができます。金属の表面を彫り、そこに異なる色の金属をはめ込む入糸技法は、韓国の三国時代から始まり、高麗時代に入って大きく進化しました。柳や葦、鴨、雁、船に乗った人などといった文様に沿って溝を彫った後、そこに細い銀線をはめ込んであり、まるで筆で絵を描いているかのようです。
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彫刻・工芸館 > 青磁室
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年代
韓国 - 高麗
- 材料陶磁器 - 青磁
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"高麗では、中国に続き世界で2番目に早いうちから青磁が作られていました。青磁の起源をもつ中国でも高麗青磁は高く評価され、南宋の太平老人は『袖中錦』で、高麗の翡色青磁は天下一であるとしています。この香炉は高麗青磁のなかでも、色の美しさ、装飾性、造形美すべてにおいて優れた作品です。 この香炉は、蓋、胴部、足の3つの部分から成ります。蓋は七宝文を透彫技法で装飾し、七宝文の線が交差するところには白象嵌で小さな点がつけてあります。胴部は、小さな円筒の外側に花びらが付けられ、一輪の蓮の花が表現されています。そして足は、3羽のかわいらしいウサギが香炉を支えるような形をしています。ウサギの目は黒い鉄顔料で描かれていて、まるで生きているかのような表情を浮かべています。この香炉には、陰刻・陽刻・透彫・象形・象嵌・鉄画・貼花など高麗時代の青磁職人が駆使した多様な装飾技法が集約されています。熟練した技巧と造形感覚が見事に調和した作品です。
- 位置
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年代
韓国 - 朝鮮
- 材料陶磁器 - 粉青
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分流
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丸く平らな胴の片側に頸が付いている形が鼈(すっぽん)に似ていることから、このような器は「鼈瓶」と呼ばれています。斬新な図案と新鮮な色づかいから、朝鮮王朝初期の活力と躍動感が感じられます。頸の部分に紐を結び、酒瓶や水瓶として携帯したと推定されます。器の表面に白土を掛けた後、竹べらなどの道具で文様を線刻し、文様以外の白土を掻き落として素地の濃い色と白い文様を鮮やかに対比させています。こうした装飾技法を「剥地」といいます。多くの剥地粉青沙器は、この工程で完成しますが、この鼈瓶はさらに、白土を掻き落として露出させた素地に鉄分を多く含む顔料を塗ることで、黒い背景の上に白い牡丹文がよりくっきりと見える視覚的効果を引き出しています。背の部分に描かれた文様は牡丹です。富貴栄華を象徴する牡丹の花が、粉青沙器特有の単純な形にアレンジされています。この鼈瓶の造形や装飾技法、文様などは、東洋陶磁史において注目を集めています。
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彫刻・工芸館 > 白磁室
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年代
韓国 - 朝鮮
- 材料陶磁器 - 白磁
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"満月のように丸くて大きい形をしているということで「タルハンアリ(月壺)」と呼ばれます。こうした壺は17世紀後半から18世紀前半にかけて京畿道広州の官窯、なかでも主に金沙里窯で製作されました。朝鮮後期の白磁文化の美的特性をよく表すとされています。近年、ソウルの宗廟や、兵器製造を司った軍器寺跡などでその存在が確認され、王室や中央官庁で貯蔵容器として使用されたものと推定されます。 この月壺は、高さ40cmという大きなもので、2つの大きな鉢を上下につなぎ合わせて作られました。そのため、壺の中央部につなぎ目が見られ、左右対称ではありません。澄んだ白色と、ゆったりと張り出した丸い形が、朝鮮白磁の美しさを代表すると評価されています。同じ時期の中国や日本では見られない朝鮮特有の美意識と情緒を最もうまく表現した作品といえるでしょう。"
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世界文化館 > 中央アジア室
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年代
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- 材料糸織 - 麻
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分流
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中国の創世神話に登場する伏羲と女媧を題材にした絵画です。左が女媧、右が伏羲で、上半身は人間、下半身は蛇の姿をしています。二神がそれぞれ手に持っている「規(コンパス)」と「矩(曲尺)」は、天は円く、地は方形であるという古代中国の宇宙観を表しています。トルファンは早くから漢族文化が伝わった地域で、中国的な特徴をもつ副葬品が墓から多く見つかっています。一方、伏羲と女媧の顔や手に見られる陰影法は西洋から伝わったもので、幾何学的な形をした太陽と月の描写法は、中央アジア地域独特の表現です。この絵は、現存するトルファンの伏羲と女媧の絵のなかで非常に保存状態が良いという点でも貴重な資料です。
- 位置
世界文化館 > インド東南アジア室
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年代
アジア - インド
- 材料石 - その他
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分流
- 尺寸
ガンダーラ地域は、現在のパキスタンに属するペシャワール盆地、スワート、タキシラをはじめ、アフガニスタンのカブール盆地やジャララバード一帯を含みます。西アジア、南アジア、中央アジアをつなぐ交通の要衝で、この地域の仏像にはインド、ヘレニズム、ローマ、パルティアなど多様な文化の影響が表れています。このあたりで1~5世紀に展開された美術を「ガンダーラ美術」と言います。ガンダーラは、人間の姿をした仏像が初めて制作された場所という点で、マトゥラー地域とともに大きな意味をもちます。この像は、ガンダーラ仏像の特徴であるヘレニズム様式の影響が色濃く見られます。目鼻立ちや髪、裾、装身具などが立体的でリアルに表現されています。「菩薩」は、もともと悟りを得る前の釈迦牟尼を指す言葉でしたが、大乗仏教の興起とともに、自らの悟りを求めるだけでなく衆生を救済する存在を意味するようになりました。
- 位置
世界文化館 > 中国室
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年代
中国 - 宋
- 材料陶磁器 - 白磁
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分流
- 尺寸
中国の景徳鎮窯で作られた白磁青花執壺です。ふっくらとした胴部に広い口と細い頸、華やかな把手が付いています。文様は胴部全体に配されていて、上から芭蕉文、蓮唐草文、果文です。これらは青花の顔料(コバルト顔料)を筆につけて繊細に描いたもので、これに透明な釉薬を掛けて焼くと、白磁胎に青の文様が浮かび上がります。こうした青花白磁は元代の景徳鎮窯の生産品が代表的で、その後明・清の時代にも輸出用磁器として生産され、アジアやヨーロッパで愛されました。韓国では、朝鮮太宗李芳遠(1367~1422)が高麗で官職についていたときに青花の盞で酒を飲んだという記録が残っていることから、遅くとも高麗末期には中国の青花白磁が輸入されていたものとみられます。
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世界文化館 > 日本室
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年代
日本 - 江戸
- 材料紙 -
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分流
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「源氏物語画帖」は、平安時代中期の長編物語『源氏物語』を絵画にした作品です。『源氏物語』は、主人公の光源氏を通して、恋愛や政治的欲望、権力闘争など平安時代の貴族社会を描いた小説で、画帖の各面は、1つの絵と、小説から抜粋した文章から成っています。絵は、服装や風景が非常に細密に描写されているのが特徴です。そして、登場人物はいずれも炭のように黒い濃い眉毛と、線を1本引いたような目をしています。これは「引目鉤鼻」という顔面描写の技法で、一見無表情なように見えますが、見る人の感情を登場人物に投影しやすくしてくれます。また、建物の天井を取り払い、柱と襖、几帳などだけで室内を表現する「吹抜屋台」という技法も使われています。この技法は、室内が舞台になっている小説の場面を描くのに適しています。「源氏物語画帖」は、華やかで優雅な平安時代の宮廷文化をうまく描写した絵画作品で、文学作品の内容を絵で表現するという日本絵画の伝統を見ることができます。