護身仏像
- 年代
高麗
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材料
金屬 - 金製
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寸法
高6.7
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番号
本館 9242
南原郡夫人梁氏の石棺から発見されたと伝えられる仏龕である。「…夫人は63歳で開城の北側の金塔寺で亡くなられた、1159年12月29日に奉嶺寺北側の山麓に埋葬された.…」と記された碑文からこの仏龕の製作年代が1159年以前であることが推定される。
四天王中の一つである多聞天と観音菩薩を銀で作った後、鍍金して、火焔文の光背を像の後ろに配置している。これら上の前・後面と屋根面がある龕室が建てられている。
側面には徽章を垂らした線によって面を区分して、その内側に観音と多聞天を置く。その前に雲文で飾られた扉の薄い銀板を上から下に挟み降ろすことができるように両側の端に溝を作っている。銀製仏龕の前面には唐草文、側面には雲文、裏面には点線で梵字が施されている。
観音菩薩と多聞天がともに登場する信仰的な背景は知られていないが、大衆の願いを成就させてくれる観音菩薩や災いを免れさせてくれる神将像が護身仏像として製作されたことと無関係ではないと思われる。