行書で書いた五言詩(行書 五言絶句)
  • 年代

    朝鮮

  • 材料

  • 作家

    李匡師(1705∼1777)

  • 寸法

    105.4x56.3

  • 番号

    本館 2515

  李匡師は韓濩(1543∼1605) 以後、朝鮮時代末期の書風の朝鮮化に終止符を打った人物として評価されている。彼の書体は李漵-尹淳の系譜に連なり、師匠である尹淳(1680∼1741)とはその書風に多くの対比をみせている。
尹淳は彼の師匠であった李漵(1662∼1723)とは異なり、中国的な要素、特に宋、明代の書風を多く受容していたが、李匡師は王羲之(307∼365)の書体に代表される六朝時代の書風を通して書体を作った。最終的に李漵の系統が尹淳を超えて李匡師を通じて再び継承されて、朝鮮的な書風が形成されることになる。
しかし、李匡師は当時、自らが参照し学んだ六朝時代の書道資料などが後代に模倣された偽作であることを知らなかった。そのため彼の書体と書道理論は、秋史金正喜(1786∼1856)によって批判された。
この行書は速く筆を動かすことと筆画にこもる力で、字が生きて動いているような躍動感に満ちた作品である。尹淳の書体の影響が少しは残存していた時点、すなわち、40代後半50代前半頃の書風と思われる。
左側の三行の下側に“李匡師章”の落款だけが残っている。作者未詳の詩は以下のようになっている。

草合路如線 草の生い茂る山道
偶随樵子行 樵について行く
林間遇磐石 木々の間に磐石を見つける
小憩看春耕 一息ついたところで春の畑を耕す情景を見る