重要
普信閣鐘
  • 年代

    朝鮮

  • 材料

    金屬 - 銅合金製

  • 寸法

    高さ 3.18m、口縁部直径2.28m

  • 指定文化財

    2

  • 番号

    新收 18240

世祖14(セジョ、1468)、タプコル公園(現ソウル市鍾路区(チョンノグ)所在)にあった円覚寺で制作された。円覚寺が廃寺となった後は一時放置されたが、中宗(チュンジョン)の時に南大門に移され、時刻を知らせる用途に使われた。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時にはさらに明洞(ミョンドン)に移され、光海君11(クァンヘグン、1619)にはソウルの真ん中である雲従街(現鍾路十字路)に鐘閣が新しく建てられ、そこに移された。都城の通行禁止の解除の罷漏(午前433回)と通行禁止の人定(午後1028)を知らせるために使われた。1895年、鐘楼に「普信閣」という扁額が掛かり、普信閣鐘と呼ばれるようになった。

1985年までは毎年、除夜の鐘をつく用途で使われたが、文化財保存の必要性により除夜の鐘は新しく鋳造された鐘でつくことになった。1986年以降、国立中央博物館で展示されている。

高さ3.18m、口縁部直径2.28m、重さ19.66トンの大型の鐘であり、典型的な朝鮮初期の鐘である。音筒(韓国の銅鐘でのみ見られる構造。音色を透明で遠くまで響かせるために作られた)がなく、二頭の龍が龍頭(フック)の役割をしている。鐘身には上・中・下段の三か所に、区分のため、隆起した帯が廻らされている。菩薩立像も刻まれているが彫りが薄くなっており、人為的に消そうとした痕跡だと思われる。鐘身には鋳造年および鐘の制作に係わった人々の官職と名前が刻まれている。制作時期が明らかな、数少ない朝鮮初期の梵鐘の一つである。