垂飾 — 冠装飾の完成 : 尹 溫 植

垂飾は装飾的な効果を高めるために身体につけて吊り下げたすべてのものを指します。例えば、冠につければ冠垂飾、腰帯につければ腰佩、さらに馬の体に巡らせた帯につければ杏葉といいます。このうち冠に吊り下げたものを垂飾と表現することが多く、その素材が大部分金であるため金製垂飾とも呼ばれます。
金製垂飾は冠帯に吊り下げる場合が多いですが、瑞鳳塚出土の金製帯金具を飾った太環耳飾(または垂飾)のように、身体を飾るさまざまな場所に用いられたものと思われます。ここでは冠帯に吊り下げる垂飾について見ていきましょう。
新羅麻立干期(4世紀後半〜6世紀前半)の葬礼風習を見ると、金製垂飾は被葬者の身分によって数量や装飾に違いがあらわれます。最高の身分(麻立干と一族)がかぶった金冠は華麗な金製垂飾を吊り下げますが、革や麻布などの有機物で作られた下位身分の冠には単純な金製垂飾1組を吊り下げたり、またはそれさえ省略することもあります。
もちろん、被葬者の身分を知ることができる核心的な要素は金冠と金製帯金具といった装身具です。最高の身分には金で作った冠と耳飾、大刀、首飾、帯飾、腕輪、指輪をすべて着用させたのに対し、それより低い身分には金銅製装飾を用いたり着装品の一部を身に着けることができませんでした。垂飾は主要装身具を飾る付随的なものではありますが、冠がすべて劣化して残っていない場合は着用者の身分を把握できる要素になることもあります。

 皇南大塚北墳金冠垂飾、新羅5世紀後半、長さ31cm、14.5cm、13.4cm、国宝第191号 皇南大塚北墳金冠垂飾、新羅5世紀後半、長さ31cm、14.5cm、13.4cm、国宝第191号

金冠塚金冠垂飾、新羅5世紀後半、長さ27.3cm、国宝第87号 金冠塚金冠垂飾、新羅5世紀後半、長さ27.3cm、国宝第87号

金冠を飾った垂飾

皇南大塚(98号墳)北墳(5世紀後半)の金冠(国宝第191号)に吊り下げられた3組の垂飾は華麗さの極致を見せるものであり、このような形態のものはこれまでに発掘された新羅垂飾の中でも唯一の例です。これは、この金冠と垂飾を用いた女性が麻立干の夫人という身分を越え王族の中でも最上位であったことを物語っています。垂飾は女性の顔の輪郭に合わせて2組を短く吊るし、残りの1組は長く垂らしました(31㎝)。最も内側の垂飾の1組は端部(垂下飾)を青色の勾玉で装飾して見事に仕上げました。
垂飾は主環、中間飾、垂下飾の順につながっています。主環は太環耳飾のように金板を巻いて作りました。中間飾は両側に環がある亜鈴状の本体、複数本をつなげて骨組みを作った後、ここに瓔珞が付いた複数本の金糸をコイルのようにねじってつけました。垂下飾は半球体にペン先形の金板と勾玉をつけました。半球体には縁に沿って浮彫り文様をあしらっており細かい金細工が引き立ちます。
金冠塚出土の金冠(国宝第87号)の垂飾は側面部に1組が吊り下げられており、皇南大塚北墳出土の垂飾に比べると華麗さが物足りません。垂飾の長さはわずかに短く(27.3㎝)、製作方式も少し違いがあります。まず、主環は細環で作りました(細環は耳飾と同様に男性を象徴するという説があります)。中間飾は金糸を鎖のように長くねじって本体を作り、ここに環を複数付けて作った傘状の装飾体を連続的に付けた後、瓔珞をぎっしり吊り下げました。垂下飾には龍顔を刻んだ金製装飾を被せた勾玉を使用しました。
金冠塚は皇南大塚北墳より少し新しいかほぼ同じ時期に築造された麻立干一族の陵墓ですが、規模や副葬品の内容は皇南大塚北墳に及びません。金冠塚の被葬者は皇南大塚北墳に葬られた夫人に比べて身分や社会的位置が低かったものと考えられます。

有機物で作られた冠を飾った垂飾

新羅陵墓の発掘では被葬者の頭側から金製垂飾のみ発見される場合がしばしばあります。これは冠を革や麻布などの有機物で作ったため、それらがすべて腐食してなくなってしまったためと推定されています。
慶州月城路カ地区13号(1985年発掘)の金製垂飾は、これまで発掘されたなかで最も古い時期(4世紀後半)に該当します。主環は太環で作りました。中間飾は亜鈴状に撚って作った金糸13本をつなげて本体を作った後、瓔珞をびっしりつけました。垂下飾は半球形と球形装飾の下に中空の円錐形装飾を吊り下げますが、ここに浮彫り文様と藍色ガラス装飾を追加しました。この垂飾の長さ(26.4㎝)と華麗さは前述した金冠塚出土の垂飾に引けを取りません。
墓の被葬者は王族やこれに次ぐ身分と推定されます。被葬者には最上位の身分を暗示する金製容器と遠距離から輸入したガラス杯が副葬されており、周辺には殉葬と推定される4人が一緒に埋葬されていました。もしかすると、被葬者は黄金服飾(金冠、金製帯金具など)を一般的に使用していなかった時期に亡くなったため、金(銅)冠を着用していない可能性があります(遅くとも5世紀以降からは黄金服飾が使用されました)。

 月城路カ13号垂飾、新羅4世紀後半、長さ26.4㎝ 月城路カ13号垂飾、新羅4世紀後半、長さ26.4㎝

 慶州味趨王陵C地区4号垂飾、新羅6世紀、長さ16.8㎝、宝物第633号 慶州味趨王陵C地区4号垂飾、新羅6世紀、長さ16.8㎝、宝物第633号

慶州味趨王陵C地区4号(1974年発掘)の金製垂飾(宝物第633号)はその形態が様々な面で独特です。この垂飾は長さが相対的に短く(16.8㎝)主環がありません。中間飾は瓔珞が付いた金珠をつなげて作られました。金珠は主に首飾や胸飾の素材として用いられましたが、2個の半球形をくっつけた後、上下に穴をあけて相互につなぎます。垂下飾は金の代わりに翡翠色の勾玉を吊り下げました。この古墳の副葬品のうち象嵌ガラス玉が大きな注目を集めました。藍色のガラス玉の中に人の顔などさまざまな絵を象嵌することは西域のガラスの伝統であり、地中海沿岸やインドネシアのジャワ島などで作られたことが知られています。したがって、この古墳の被葬者は金冠や金銅冠を用いるほどの身分ではありませんでしたが、太環金製耳飾を着用して輸入ガラス玉を持っていたという点で身分の高い貴族女性であったと考えられています。