徐直修肖像、李命基・金弘道 : 李 秀 美

ひとりのソンビが恭しく立っています。炯々とした眼光と堂々たる表情が、視線を引きます。頭には朝鮮時代のソンビ達が普段家で好んで身につけていた東坡冠を被っています。朝鮮のソンビを頭のなかに描くたびにこの肖像画が頭に浮かびます。

文学と芸術を楽しんだソンビ、徐直修

《徐直修肖像》、李命基・金弘道、朝鮮1796年、絹本彩色、148.8×72.4㎝、宝物第1487号

《徐直修肖像》、李命基・金弘道、朝鮮1796年、絹本彩色、148.8×72.4㎝、宝物第1487号
当代最高の宮中画員である李命基と金弘道の合作です。

何より目が印象的です。目の輪郭に古銅色の線を引いて奥ゆかしい深みを与え、瞳の周囲には橙色を入れ、眼光は生き生きとしています。身につけているクリーム色の道袍が豊満です。袖筒はたいへん広く、長さは手を完全に覆うほどに長いです。手足の高い両班達の道袍であればあるほど、このようにゆったりとした品格を持っています。掛け襟が無く、幅の広い首の襟、端正に結んだ胸の絲帶、柔らかくも姿形をよく現わす服の輪郭線と皺、足首まで下ろされた服全体の長さ、これら全てがソンビの威厳ある風貌とよく似合っています。道袍の裾下に白い足袋を露出させたまま、綺麗な茣蓙の上に立っています。視線を逸らしやすい足、その白い色彩がまぶしいです。朝鮮の肖像画のなかでもこのように靴を脱いでいる例は、珍しいです。人物が漂わせる気迫が画面の主調をなすなかで、東坡冠と絲帶がなす感情の調応、白い足袋の破格が単調さを壊しています。茣蓙の横線は、画面のこのような気運を持ち上げながら、雰囲気を醸成します。

この肖像画の主人公、徐直修(1735~1811)は、誰でしょうか。彼は字が、敬之で、1765年(英祖41)、進士試に合格したのち、陵参奉をはじめとして通政大夫敦寧府都正を務めた人物です。この作品は、1796年徐直修が62歳の時に当時最高の宮中画員であった李命基が顔を描き、金弘道が胴体を描いて合作したものです。正祖御真を描いた時、参加した両画家が共に描いたということだけでも、この肖像画の水準を推し量ることができます。

右側上部には徐直修がこの肖像画を見て自ら評した文章がありますが、直した箇所があることから見て、この肖像画が非公式的に描かれたことが分かります。肖像画に対する当時の考えを垣間見ることができる内容であるため、紹介してみます。

「李命貴が顔を描いて、金弘道が体を描いた。両者は名のある画家であるが、一片私の心は描き出せなかった。残念である。私が山のなかに籠って学問を磨かなければならなかったが名山を歩き回り、雑文をしたためるために心と力を浪費してしまった。私の人生を振り返って、俗っぽく生きなかったことだけでも貴いとしよう。(李命基畫面, 金弘道畫體. 兩人名於畫者, 而不能畫一片靈臺. 惜乎. 何不修道於林下, 浪費心力於名山雜記. 槪論其平生, 不俗也貴)」

目の輪郭に古銅色の線を引いて、奥ゆかしい深みを与え、瞳の周囲には橙色を入れ、眼光は生き生きとしています。

茣蓙の上の白い足袋が印象的です。朝鮮の肖像画のなかでこのように靴を脱いでいる例は珍しいです。

1 目の輪郭に古銅色の線を引いて、奥ゆかしい深みを与え、瞳の周囲には橙色を入れ、眼光は生き生きとしています。 2 茣蓙の上の白い足袋が印象的です。朝鮮の肖像画のなかでこのように靴を脱いでいる例は珍しいです。

肖像画は果たして精神を込めることができるか?

このように肖像画は、昔の人々の姿を類推できる写真であり、彼らの思考方式を間接的に感じて見ることができる鏡のようなものです。王の肖像である御真が国を代表する象徴的な意味を帯びたならば、国に功をなした人物の肖像である「功臣像」、元老高官の肖像である「耆老像」はその家門および百姓に手本となるよう製作されました。このような人物達は、ほとんど烏紗帽を被って正装官服を着たまま椅子に座っている厳粛な姿で描かれます。公的な肖像画は当代最高の画員が織りなす芸術品であると同時に「忠」を表象して、国家経営に必要な政治的装置にもなりました。

 尹汲肖像(宝物第1496号)、紗帽を被って官服を着ている官服本肖像画です。

尹汲肖像(宝物第1496号)、紗帽を被って官服を着ている官服本肖像画です。

このような官服本肖像と異なり、徐直修肖像画は野服本肖像に分類されます。野服肖像画は、燕居服肖像画とも言いますが、人物は平常服の姿で主に幅巾や東坡冠、亭子冠を被って深衣や道袍を着ています。野服という言葉には元来官職に就かなかったソンビの服装という意味が込められていますが、このような野服肖像画は性理学者の質素な美感や端雅な姿を込めるには適切で、主に性理学を信奉する山林学者に愛好されました。朝鮮社会に儒教的価値観を定着させながら、このような姿はより一層流行するようになりますが、朝鮮時代後期には官職に身を置く官吏もまた好んで野服肖像の主人公になりました。

徐直修は、自身の肖像画を自評し、自身の心は描きだせなかったと悔やんでいます。これは言い換えるならば、肖像は心を描きだせるという可能性の表現とも言えます。このように朝鮮後期以来、朝鮮のソンビ達は肖像画のなかの姿が似ているか、似ていないか論ずる段階を超えて自身の内的世界と指向点まで肖像画のなかに表現を願いました。しかし朝鮮のソンビのなかには、肖像が姿を伝えるだけで精神は表現できないという強い懐疑をもって肖像画製作を断固として拒絶する人物も多かったです。例えば宋時烈と双璧をなす儒学者、尹拯は、自身の肖像画製作を反対したため、弟子たちが画家に道袍を着せ、ソンビに偽装させたまま潜入させ、肖像画を描かせるほどでした。

文人・南有容は、君子にとって重要なものは心であるため、姿を伝えることは取るにたらない事とし、肖像画家・朴善行が肖像画を描くということも辞退しました。「細かなこと一つ同じでなければ別のひと」と考えた朝鮮のソンビが肖像画を信頼するためには、まず肖像画の写実性が前提とならなければなりませんでした。事実性を超えて「肖像が精神を込めることができる」とまで肖像の存在を肯定できるならば、なにより肖像画を実際の人物のように描き出すことができる画法の発展と技量が成熟しなければなりませんでした。

肖像画に隠された秘密

エックス線透過撮影した姿。裏面を描いたのち、背彩法を使用して深みを加えたことを確認できます。

エックス線透過撮影した姿。裏面を描いたのち、背彩法を使用して深みを加えたことを確認できます。

驚くほどの肖像画の写生力を徐直修肖像画から発見できます。頭に被った東坡冠に陰影を描写し、立体物を見るかのようです。顔の屈曲と顔色は、短く柔らかく、無数の多くの字画で描きだされています。それぞれの筆致が全体的な雰囲気のなかに溶け、徐直修の顔が生き生きと表れています。顔のほくろ、シミ、皺など細部的な皮膚の特徴も逃していません。当代最高の肖像画家、李命基が描いた徐直修の顔は、1796年当時朝鮮における肖像画の実力を示しています。それでは、金弘道が描いた服飾はどうでしょうか?国立中央博物館では、徐直修肖像画を調査してX線透過撮影をしました。X線は可視光線に比べて、波長が短いため、X線透過撮影をすると肉眼では確認できない多くの情報を得ることができます。

写真から分かるように、体の部分に粗い筆致が多数見えます。道袍の前面からは、このような筆致を窺うことができませんが、これは何でしょうか? 撮影写真に見られる道袍の筆致は、前面の姿ではなく、画面裏の状態を見せるものです。X線で撮影したため、背面の筆致まで現れました。このように画面の後ろから彩色することを「背彩法」と言いますが、このようにすると絹の間から彩色が透けて見え、仄かな効果を出すことができます。背彩法で後ろから顔と服飾の基本的な色彩を出し、前からは軽く澄んだ淡彩をメインに細部的な描写をし、人物の姿が端雅に見えます。写真に見られるように白色で道袍の後ろを一度塗ったため、前から見ると背彩が無い地の画面と異なり、人物部分は背彩を前提とした深みある色感が見えます。


徐直修肖像画を見るたびに心が落ち着きます。人間という複雑な存在を2次元的画面に描き入れた芸術魂が、肖像画をただの絵画彫刻ではなく、精神まで込められるものと信頼した昔の人々の敬虔さが感じられます。このような真心と信心が、朝鮮時代肖像画をこれほど品格あるものに仕立てたのでしょう。