国立中央博物館(館長・金英那<キム・ヨンナ>)は、 本展では、丁若鏞の生涯を時間の流れに沿って、彼の置かれていた状況、学問の研究と著述などのテーマを中心にいくつかのセクションに分けて紹介します。まず、「故郷と漢陽で学んだ新学問」では生まれ育った地域(現在の南楊州市・鳥安面・陵内里・マジェ村)の風光、結婚後の漢陽暮らしで触れた星湖・李瀷(イ・イク)の学問と西学についてスポットを当てます。茶山の生家の近くから眺めた漢江が描かれた「漢臨江名勝図巻」、「星湖僿説類選」、『主敎要旨』をはじめとした当時のカソリック教理書籍などが展示されます。 続いて「聖君に出会う:正祖と丁若鏞」では28才の時に文科に合格し、その年に奎章閣の「抄啓文臣」に抜擢された丁若鏞は、水原華城の設計を任されるなど、正祖(チョンジョ)から厚く信頼された官僚の時代について展示します。 一方、「生き残って立てた志、学問への道」、「世の中を正そうとした志、1表2書」では、カソリックとの関わりで全羅道・康津に島流しにされた時期の学問と著作について展示します。『周易』の解説書『周易四箋』、『経世遺表』、『牧民心書』などが、その時期の書簡とともに展示されることにより、学者であり改革思想家としての茶山の業績について知ることができるよう構成されています。 この時期の茶山の日常と人間関係については、「流配の地、康津での生活」で展示されます。草衣禅師による茶山草堂の絵、茶山草堂の四方の景色を描いた茶山による詩冊『茶山四景帖』(宝物1683号)、ソンビでかつ画家の外曽祖父・尹斗緖(ユン・ドゥソ)が 「故郷のマジェに帰りて」では18年にも及ぶ流配から開放され、故郷のマジェへ帰ってきた茶山の著作、学問的交流、老年の日常と感慨などについて展示します。刑事事件の指針である『欽欽新書』、代表的な経学研究書の一つである『梅氏尚書平』、茶山が題詩を作った「山水図」と「魚図」、そして晩年の書簡などが観られます。 最後に「丁若鏞、死後における再評価」では、死後もなお評価されることのなかった丁若鏞の学問と思想が開港以降、激動の時代において再照明され今日に至っていますが、その評価の歴史について展示します。「愛国啓蒙運動期」に茶山について注目した「皇城新聞」、教師用教科書『幼年必読釈義』、茶山の死後100周年を迎え、全国からの募金により刊行された活字本『與猶堂全書』、その出版社の請求書、茶山を高く評価した「東亜日報」などが公開されます。 本展は18年間流配されるという大変な逆境の中でも、儒学を深く掘り下げ、膨大な著作の中で制度改革、民生の改善という方向を提示した偉大なる思想家、茶山・丁若鏞の生涯と人間味あふれる姿、彼の生きた朝鮮の社会について身近に感じられるきっかけとなるでしょう。
茶山四景帖
(宝物1683号)
茶山草堂の四方にある茶竈・薬泉・丁石・石仮山を七言律詩で詠み、行書で書いた詩冊
東国輿地之図(宝物481-3号)
丁若鏞の外曽祖父である尹斗緖により制作
『梅氏尚書平』
『梅氏尚書』が偽作であることを考証した本
梅鳥図
結婚30周年を記念して夫人の洪氏が配流の地に贈ったチマ(スカート)であり、
そこに茶山が詩と絵をかいて娘に贈る。
丁若鏞が詩を書いた山水図。絵の作者は未詳
丁若鏞が 詩を書いた山水図。絵の作者は未詳
丁若鏞が詩を書いた魚図。絵の作者は未詳
丁若鏞の肖像画
伝「草衣・意恂」作