過去 特別
145年ぶりの帰還、「 外奎章閣儀軌 」
  • 展示場所

    平常展示館 特別展示室

  • 展示期間

    7월-19-2011 ~ 9월-18-2011

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儀軌とは、朝鮮時代(1392~1910)に王室とで行われた儀式や行事の準備・実施過程を文字とで記したものです。朝鮮時代初めの15世紀から制作されており、2007年にユネスコ世界記遺産として登され、その史的文化的な値はさらに評されています。

 

本展覧会は、江華島の外奎章閣(朝鮮王室の文書館「奎章閣」の別館)に保管していた儀軌が1866年にフランス艦隊によって略奪されて以、145年ぶりの韓への返還を記念するもので、外奎章閣儀軌297冊を6部の構成でご紹介いたします。 

 

1部では、儀軌のや構成についてします。正祖代(在位1776~1800)に江華島の行宮に外奎章閣(王室の文書館である「奎章閣」の別館)が完成され、御の儀軌など王室の重要史料を安全に保管するについてまとめられています。さらに、御と分上用(主な役所や地方の史庫にそれぞれ保管するため、約5~9部を制作したもの)の儀軌が並んで展示され、表紙や本文、図説を見比べることができます。 

 

江華府宮殿>、19世紀後半、立中央書館

江華府行宮周の殿閣を描いた4幅の地で、

第2幅目に御の儀軌を保管する外奎章閣の建物が

表現されています。 

 

憲宗景陵山陵都監儀軌

1849年(朝鮮王朝25代目の、哲宗の即位年)

()

朝鮮王朝24代目の、憲宗のご崩御の後、6月から11月まで景陵(憲宗のお墓)作りの過程をまとめた儀軌2冊のうち上たります。の絹地で表紙を包んだ後、辺鉄を5つの釘で固定し、釘の下に丸い菊花紋を施して製本したものです。 辺鉄の中央には丸い取っ手がついてあります。

() 分上用

ソウル大 奎章閣韓国学研究院の儀軌とは異なって、紅布で包まれた表紙に辺鉄取っ手とも錬で作られ、3つの釘で固定されています。

 

 

2部から6部までは、外奎章閣儀軌のテマ別で展示されています。

2部のテマは「王と統治」で、儀軌に見られる朝鮮時代の統治理念を理解するため宗廟祭、親耕の御田植え)、録勲(功臣の記)などの儀軌を展示しています。特に、唯一本の「保社録勲都監儀軌」(1682年、8年)は、ハングル文字が記された希少本として注目されています。 

 

保社録勲都監儀軌>、1682年(8年)

1680年(6年)許堅などによる謀反を防いだ家臣に、功臣の称号える過程が記されています。

 

 

3部のテマは「の祝事」で、王室の婚や冊封、尊など儀式にわる儀軌を紹介しています。朝鮮時代には儀式や行事が行われるため臨時官の「都監」を設置し、その下にいくつかの組織を設けのお祝い行事を行いました。儀軌を通じて、儀に必要な品とその材料、職人名簿、図説、儀典行列のを描いた「班次」がごいただけます。 

 

孝章世子冊都監儀、1725年(英祖1年)

1725年(英祖1年)3月、孝章世子を王世子(世ぎ)に冊封したを記したものです。 御の儀軌のため高級な草注紙を用いて、赤い線でりが施されています。 な筆遣いとな顔料を使って、鮮やかな色で表現されています。 

 

孝章世子冊都監儀分上用、1725年(英祖1年)

は上2冊に分かれていますが、

分上用は一冊でできています。 判を押して繰り返される人物を配置し、

色の鮮やかさも完成度も御に比べてかなり劣ります。

 

 

4部のテマは「王室の葬儀」です。朝鮮王室の儀の中で最も重大な儀は死にわる儀式です。特に、と王妃の葬儀はで、臨終から葬儀の準備、お墓の造成、葬儀の行列、三年の喪における祭祀(法事)など、すべてしく盛大に行われました。葬都監、殯殿都監、山陵都監の儀軌が展示されます。

 

5部のテマは「追悼と記憶」で、三年の喪が終わった後、殿の神主を宗廟に祀る儀式の「祔廟」、亡くなったと王妃へ生前の事績をえて贈る諡の遺影(肖像)の制作など、朝鮮時代において先王を追悼する方法について紹介します。

 

最後の6部では、丙寅洋擾(1866年)から現在に至るまで、外奎章閣儀軌が返還されるまでの道のりを振り返ります。丙寅洋擾に参戦したフランス海軍ジュベルの記などにわる西洋書も多展示されます。 

 

綏嬪徽慶園園所都監儀軌

1822年12月から1823年3月まで、正祖の側室の顯穆綏嬪朴氏(1770~1822)のお墓である徽慶園を造成したについて記されたものです。この儀軌は上2冊に分かれ、上は1993年9月に韓を訪れたフランスのフランソワミッテラン 元大統領から直接引き渡されたもので、下は2011年に外奎章閣儀軌296冊とともに返還されたものです。 

 

L'ILLUSTRATIONJOURNAL UNIVERSEL

1867年、明知大 LG蓮庵文庫

丙寅洋擾に参戦したフランス海軍ジュベル(M.H.Zuber)が1867年1月19日と26日付けで寄稿した記事です。、フランス軍による侵略や戦闘、外奎章閣と思われる建物の前を行進するフランス軍の姿を描いたスケッチが注目されます。

 

このほか、特別コの「の生涯と儀軌」では、(在位1674~1720)の生涯にわる外奎章閣儀軌を展示し、さらに「儀軌ハイライト」では、8点の外奎章閣儀軌の展示を通じて、儀軌の時期別のと特が分かります。なお、入館者の果的な展示鑑賞と理解のために、映像メディアを積極的に取り入れました。 

 

宗仁后嘉都監儀>1681年(7年)

が仁后をとして迎えた婚の儀式について記された儀軌です。

 

 

本特別展を通じて、外奎章閣儀軌の重要性と芸術的、そして返還されるまでの各位のを十分感じ取っていただくと共に、立中央博物館は外奎章閣儀軌にする調査とをさらに深め、今後な分野で活用できるよう努めてりたいと思います。