重要
浮石寺掛仏
  • 年代

    朝鮮

  • 材料

  • 寸法

    925.0x577.5cm

  • 番号

    K番 969

「掛仏」は寺院の建物の中に入り切らないほど人が多く集まった法会で使われる。遠くからも識別しやすく、そして多くの人の願いを叶える力があるということを示すため、89m以上、時には12mを超える大きさのものが制作された。

掛仏は仏教文化が定着していた中国や日本では見られない韓国独自のものである。掛仏がはじめて描かれた年代は不明だが、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)と丙子胡乱という二回にわたる大きな戦乱が過ぎた17世紀以降から本格的に描かれ始めた。戦没者の魂を鎮めるための法会が多く行われたからである。

浮石寺(プソクサ)掛仏は1684年に制作されたもので、残された朝鮮時代の仏画の中では時代が早い。下段には霊鷲山(ヨンチサン)で法華経などを説く釈迦(霊山会相図)が描かれている。菩薩とその弟子たち、四天王に取り囲まれて説法する釈尊の上に、さらに仏の三つの法会の姿が並べられている。中央が毘盧遮那仏であり、左右には東の世界の薬師如来と西の極楽世界の阿弥陀仏が配置されている。この二人の仏は下段の釈尊とふたたび三人の仏の構成となっている。これは現在のこの世界、そして東西の世界の三仏会図に示している。