水晶頸飾

透明な水晶を削って面をつくり、それらをつなげたこのきらびやかな頸飾は、金海良洞里遺跡の木槨墓から出土したものです。美しい装飾品を身につけたいという欲望は古くから存在し、新石器時代からすでに人々は玉などを加工して装身具を作りました。頸飾は、ほぼすべての時期にわたって作られたとみられますが、作られた時期によって材料や形態が異なります。鉄器文化を特徴とする三韓時代には、水晶、瑪瑙、琥珀などさまざまな材料を使い、中国から流入したガラス製作技術で作られた頸飾が流行しました。 『三国志』の「魏書東夷伝」によると、三韓では、金や銀よりも玉やそれを磨いてつなげた装飾品が珍重されました。この記録を裏付けるように、三韓時代の墓からは様々な天然石の装飾品が出土しています。とくに、慶州や金海といった辰韓・弁韓地域では水晶の頸飾が多く作られ、この頸飾からは三韓の人々の優れた水晶加工技術と高い美的感覚が見て取れます。このほか、三韓のガラス製作技術もさらに発展し、赤や青など色とりどりのガラスビーズが作られるようになりました。