木簡(2個の中の1個)
  • 年代

  • 出土地点

    新安郡

  • 材料

  • 番号

    新安 23579

これには“私(?)菊得”、あるいは“拾貳貫□”と記されている。
新安沈没船からは多種多彩な形態の木牌が出土したが、これら木牌は陶磁器を含む引揚品が収められている箱や銅貨の束に結ばれていたものである。したがって、これらは貨物に提げられた荷札、即ち付札であった。木牌には墨で書かれた文字があり、新安沈没船の具体的な実像を理解するのに手がかりとなっている。
まず、木牌の中には“至治3年”という元の年号が記録されたものが8点あった。これは船が 至治3年頃、貨物を積載していたことが分かる記録と見ることができる。
次に十貫公用、十貳貫など重さが記された木牌があるが、これは貨物の重さをあらわすものと見ることができる。
“東福寺”という寺院の名前が記された木簡も何点か見られる。東福寺は文永8年に聖一国師が創建した京都にある禅宗寺院である。これと関係のある木牌に“釣寂庵”と書かれた木牌もあるが、釣寂庵は博多にある承天寺の搭頭の一つで、承天寺は東福寺と同じく聖一国師が創建した寺院である。
東福寺という札が付いている貨物は入荷後、釣寂庵、承天寺を経て京都に運搬されたのではないかと思われる。この外に人名が記された木簡として、教仙人のような入道名と俗人の名前も確認できる。その中にとう二郞、いや二郞、又二郞、八郞などがある。