粉青沙器印花文四耳壷
- 年代
朝鮮
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出土地点
高陽市
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材料
陶磁器 - 粉青
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寸法
高21.2㎝
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番号
徳寿 6484
この壷は世宗大王の長女である貞昭公主の墓から出土したもので、本来、墳墓は京畿道高陽郡碧蹄面にあったが、日本の植民地時代に西三陵に強制的に移葬させられる時、共に埋葬された遺物が出土したものであると思われる。墳墓の出土品であるが、胎壷の形態を取っている点からみて、その製作時期は貞昭公主が生まれた1412年から死亡した1424年間と推定される。草花文がある壷は、胎を入れる内壷形態を取っている。全体的にやや細長く橢円形に近い。肩部の四カ所に丸い環が付いており、高台の底面に砂を敷いて焼成している。上段と下段に蓮弁文の帯と卍字文の帯が廻らされており、中央の面には花と草文が装飾され、ここに印を捺して雲鶴文を少し入れた。印花文様がある外壷は胎を入れるもので、胴裾がぎゅっとすぼまり、四カ所に付けられた耳の形が半円形である点が異なる。特に胴部の中央には、花文印を細かく捺して装飾している。このような点は、象嵌青磁から印花技法粉青沙器へ新しく移り行く過渡期的な様相を垣間見せるものである。