朝鮮を建国した太祖李成桂の財産相続文書 : 朴 竣 鎬

この文書は、1401年(朝鮮・太宗元年)にすでに退位していた太祖李成桂(1335~1408、在位1392~1398)が、後宮との間に産まれた末娘の旀致(ミョチ、淑慎翁主)に対して、家屋と土地を相続させる目的で作成されました。文書の左には李成桂親筆の花押があり、右には王印である御宝が押されています。この文書は、当時から太祖の親筆文書と考えられてきたため、歴代王の親筆を集めた『列聖御筆』に拓本のかたちで載録されて刊行されました。現在複数の博物館や図書館などに伝わっている拓本の原本が、この文書です。

娘を大切にして愛した李成桂の心

太祖李成桂財産相続文書,朝鮮 1401年,56.5×55.5㎝,宝物第515号

太祖李成桂財産相続文書,朝鮮 1401年,56.5×55.5㎝,宝物第515号

この文書には、娘を大事にして愛した李成桂の気持ちがよく表れています。文書の冒頭で李成桂は、「旀致はまだ幼少で、妾から産まれた女の子だが、余の歳がまさに七十になろうとする今このときに、何もせずにはいられない」と、彼のやるせない気持ちを表現しました。以下、旀致に譲与する財産の目録が具体的に羅列されています。財産目録は、数百年前に用いられた固有の用語や吏読(りとう。
漢字の借音・借訓による韓国語表記)が使われており、正確な内容を理解するのに若干困難を伴います。その大まかな内容は、都の東部の香房洞にあった許錦が所有する空き地と礎石を購入し、そこに新たに24間の間取りの瓦葺きの家を建てて、これを相続させるというものです。そして、文書の末尾は、永遠にこの地に住まわせるが、後日何か問題が生じれば、この相続文書を持って役所に申し出て正しく判断してもらえるよう、子孫代々保管して永く居住するようにせよという訓示で終わっています。

『朝鮮王朝実録』から文書伝来の経緯をたどることが可能

この文書の伝来の経緯は、『朝鮮王朝実録』が比較的詳細に伝えています。1746年に王宮内の春塘台でみずから科挙を監督していた英祖(在位1724~1776)に、忠清道の尼山に住む儒生の洪天普がこの文書を持ってきました。洪天普は淑慎翁主の駙馬である唐城尉洪海の子孫で、この文書が家内に代々伝えられてきたと言いました。英祖は文書を持ってきた褒美として洪天普に官爵を授けたのですが、この出来事があった後、官爵目当てで列聖の御筆と称して朝廷に持参する者が多かったといいます。英祖は、洪天普が持参した文書の文字を太祖の親筆と考え、文面をそのまま石に刻むように命じました。そして拓本を採取して『列聖御筆』に載せ、各所に下賜しました。当時文書を刻んだ原石は、現在国立古宮博物館に所蔵されています。

 太祖李成桂財産相続文書御筆刻石,朝鮮,31.2~31.4×42.9~43.0×8.0~8.3㎝,国立古宮博物館所蔵

太祖李成桂財産相続文書御筆刻石,朝鮮,31.2~31.4×42.9~43.0×8.0~8.3㎝,国立古宮博物館所蔵

この文書は、朝鮮初期のなかでも最も早い時期に作成された王室財産相続文書で、奴婢や田畑を相続する一般的な事例とは異なり、家屋を下賜する内容である点や、様々な固有の用語と吏読が用いられている点から、貴重な史料と評されています。


<文書の訳文>


建文3 (1401、辛巳)年9月15日、妾の産んだ女子である旀致に文書を作成する事は、たとえ旀致が年若く、妾から産まれた子であるが、今のように余の齢まさに七十にならんとし、放っておきがたいからで、(開城の)東部に属する香房洞の空き地は、死んだ元宰相の許錦の敷地で、きれいに整えられた礎石とともに購入し、家屋の木材は奴に木を切って建てさせた母屋2間(前後に縁側を設けた瓦葺き)、東に付設した家1間(瓦葺き)、台所1間(瓦葺き)、酒小屋3間(藁葺き)、物置3間(前後に縁側を設けた藁葺き)、中二階の納戸2間(藁葺き)、客間4間(藁葺き)、西側の部屋2間(前後に縁側を設けた藁葺き)、南側の板の間3間(前方に縁側を設けた藁葺き)および屋根裏の納戸3間(瓦葺き)の都合24間などを、礎石とともに購入した許錦の宅地の買入文書と一緒に相続させるので、永遠にその地に居住させるが、のちに問題が生じたら、この文書の内容を役所に申告して正しく判断してもらい、子孫代々伝えて永く居住すべき事。

<原文>

建文參年辛巳玖月拾伍日、妾生女子旀致亦中、文字成給爲臥乎事叱段、必于年小
妾生是去有而亦、今如、矣身年將七十、一任爲乎不喩、東部屬香房洞空□□、故
宰臣許錦戸代、熟石并以、交易爲旀、材木乙良、奴子乙用良、斫取造家爲乎身梗貳
間前後退瓦蓋、東付舎壹間瓦蓋、厨舎壹間瓦蓋、酒房参間草蓋、庫房参
間前後退草蓋、樓上庫貳間草蓋、内斜廊肆間草蓋、西房貳間前後退草蓋、南廳
参間前退草蓋、又樓上庫参間瓦蓋、合貳拾肆間等乙、交易本文記并以、許與爲去乎
在等以、永永居住爲乎矣、後次別爲所有去等、此文字内事意乙用良、告官辨別、
子孫傳持鎭長居住爲乎事。
太上王(御押)


※文書の摩滅により現在は文字を判読できない箇所は、朝鮮時代に作製された『列聖御筆』所収の拓本を参考にして補完した。