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皇福寺跡三層石塔から出土した金製仏立像と阿弥陀仏坐像
Date2019-02-22 Hit482

 皇福寺跡三層石塔から出土した金製仏立像と阿弥陀仏坐像 : 申 紹 然

舎利容器のなかから現れた仏様

1942年皇福寺跡と伝えられる慶州市九黄洞の寺跡にある三層石塔を解体・復元した際、屋蓋石上部の舎利孔から2点の仏像が発見されました。

 金製仏立像、慶尚北道慶州市九黄洞三層石塔出土、統一新羅 692年頃、高さ14.0㎝、国宝第80号 金製仏立像、慶尚北道慶州市九黄洞三層石塔出土、統一新羅 692年頃、高さ14.0㎝、国宝第80号

金製仏坐像、慶尚北道慶州市九黄洞三層石塔出土、統一新羅706年頃、高さ12.0㎝、国宝第79号 金製仏坐像、慶尚北道慶州市九黄洞三層石塔出土、統一新羅706年頃、高さ12.0㎝、国宝第79号

仏像が収められていた金銅製舎利外函の蓋内側には楷書体で1行に20字ずつ計18行の銘文、そして99基の小さな塔が刻まれています。銘文によると、天授3年(692)神文王が世の中を離れるや神穆太后が王位を継いだ息子、孝昭王と共に宗廟の神聖な英霊のため、禅院伽藍に三層石塔を立てました。聖暦3年(700)、神穆太后が世を去って大足2年(702)孝昭王が崩御すると、跡を継いだ聖徳王が神龍2年(706)に仏舎利4顆と6寸の大きさの純金製阿弥陀像1躯、そして『無垢淨光大陀羅尼経』1巻を石塔2層に安置しました。

b 舎利具セット、金製・銀製方形函、金製・銀製高杯、ガラス板、ガラス玉、慶尚北道慶州市九黄洞三層石塔出土、統一新羅 706年頃

 舎利具セット、金製・銀製方形函、金製・銀製高杯、ガラス板、ガラス玉、慶尚北道慶州市九黄洞三層石塔出土、統一新羅 706年頃 舎利具セット、金製・銀製方形函、金製・銀製高杯、ガラス板、ガラス玉、慶尚北道慶州市九黄洞三層石塔出土、統一新羅 706年頃

1942年発見当時は、金製仏像2点、金製と銀製方形箱、金製・銀製高杯、ガラス板、ガラス玉などが発見されました。石塔舎利孔から『無垢淨光大陀羅尼経』は発見されませんでしたが、舎利外函側面に点線で刻まれた多数の小塔文様によって、704年に漢訳された『陀羅尼経』が新羅に流入していたことが分かります。

仏像の制作年代

舎利函の中から発見された2点の仏像のひとつは立像で、もうひとつは坐像ですが、銘文には仏像の姿勢が記録されておらず、仏像の制作年代や安置順序は明確でありません。しかし両仏像の様式や形式を考察すると、立像は692年に石塔建立期に奉安され、坐像は706年に奉安されたものと推定されます。仏立像の顔を見ると、目鼻口の境界と輪郭が柔らかく、若干吊り上がった両唇の古拙な微笑が調和をなしています。また厚い法衣に覆われ、身体が露出しないよう表現されており、古式すなわち三国時代仏像様式が残っていることが分かります。このような点から見て、仏立像はおそらく692年に石塔を立てた当時に安置された仏像である可能性が高いです。

いっぽう仏坐像は、身体表現が写実的で豊満であり、衣文が流麗かつ自然です。目鼻口の境界が明らかな点も、統一新羅仏像の特徴です。片方の手は上げて、もう片方の手は膝に置くなど7世紀に流行した阿弥陀仏の手印を備えており、中国・唐の影響を受けた統一新羅の仏像様式を示している点から、仏座像は706年に安置された阿弥陀像と推定されます。

金製仏立像部分 金製仏立像部分

 金製仏坐像部分 金製仏坐像部分

伝統の継承と新たな流行の予告

仏立像は両肩を覆った法衣を上側など後ろに乗せ、厚い衣文はU字形を成し、幾層にも重なって流れ落ちています。身体に比して大きな手は、写実的な表現とは程遠く、右手は手のひらを外に向けて持ち上げ、左手には衣の裾を掴んでいます。衣の裾をつかんだ形式は、インドのマトゥラー仏像やガンダーラ仏像、または中国の6世紀仏像にも発見される古式的な要素です。

興味深い点は、このような古式的な要素のなかに統一新羅時代に大きく流行する仏像形式が見られる点です。仏立像のU字形衣文は、統一新羅時代に流行する衣文の先駆的な形です。このように下に重なって流れ落ちる衣を着た仏像を「阿育王像式仏像」ともいいますが、阿育王像はインドの阿育王が作ったという伝説のなかの仏像です。中国では「阿育王像」の銘文がある仏像のうちこのようにU字形の衣文が重なって流れ落ちる例が多く、統一新羅時代には仏像に銘文がありませんが、このような衣文が表現された仏像が多数制作されました。.

金製仏立像部分 金製仏立像部分

金製仏立像背面 金製仏立像背面

光背には文様と大きさが異なる同心円、そして沸き立つ火炎文様を精巧かつ繊細に透かし彫りし、仏頭すぐ後ろの光背中央には蓮華が当てられています。台座は低い蓮弁と12角形の支えに連なっています。制作過程を示す痕跡も残っていて興味深いですが、頭と胸には仏像の原形と鋳型を固定する鋳型支持材(または型持)を除去して仕上げた痕跡があります。また背には完成後、土で作った原形をかき出した穴が残っています。光背と仏像、仏像と蓮華座は別途に鋳造して作ったのち固定しています。

国際的様式の受容と発展

仏坐像は8世紀前半、統一新羅の仏教美術が当時国際的に大きく流行した中国・唐の仏像様式を新たに受け入れ、どのように発展、展開したのかを示しています。仏坐像は、一緒に発見された仏立像と比べて全体的に量感が豊富で、顔の目鼻口の輪郭線が明確で、威厳と権威がある謹厳な姿が特徴です。両肩に掛けた法衣は、はるかに薄くなり、身体に密着して身体の屈曲と豊満な人体をそのまま露わにしています。また三道を表現した首の横皺が明確になり、実際の手のように手相まで表現するほどに身体の細部も精密に表現しました。蓮華座の下に流れ落ちた法衣の表現は、中国・唐の仏像と台座表現においても容易に確認できる形式です。とくに右手を上げて手の平を外に向け、左手は膝に下ろしたこのような手の形もまた中国で流行した阿弥陀仏像の手の形と似ています。

仏坐像は自然で写実的な表現を受容しながらも、肉感的であったり官能的な誇張された立体感を排除したという点で中国仏像と違いを見せ、石窟庵に展開する統一新羅仏像の絶頂を予告します。

 金製仏坐像部分 金製仏坐像部分

 金製仏坐像裏面 金製仏坐像裏面

1 金製仏坐像 2 仏坐像 3 金製仏坐像の光背と台座 1 金製仏坐像、慶尚北道慶州市九黄洞三層石塔出土、統一新羅 706年頃、高さ12.0㎝、国宝第79号
2 2 仏坐像、中国山西省芮城県風陵渡出土、唐710年頃、高さ 93.0cm、芮城県博物館所蔵
(写真出典 : 『中国国宝展』、東京国立博物館、2004)
3 金製仏坐像の光背と台座

光背と仏像、そして台座が全て別途に制作されていますが、頭の周囲の光を形象化した頭光と身体周囲の光を形象化した光背に表現されました。頭光部分には蓮華が当てられており、身光中央には蔓文様が表現されています。これらの周辺には蔓文様と火炎文様が精巧に透かし彫りされています。台座は三段で構成されており、円形という点もまた独特です。

一点の疑問点は、仏坐像の大きさです。銘文によると阿弥陀像が6寸とありますが、実際の大きさは4寸にならないという点において、この点は今後解決しなければならない課題でもあります。

二点の仏像は舎利荘厳具で仏像を奉安した始原的な事例であり、年代推定が可能な王室発願の純金製仏像で、光背と台座が綺麗に保存された珍しい例です。また伝統を継承して新たな様式を受け入れた統一新羅仏教彫刻の洗練された美感と繊細な鋳造技術の真の面貌を示すという点において統一新羅仏像の精粋を示しています。

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